ひよっこ blog

ゲーム制作について、作ったものや思ったことをつらつら書いていく予定

埋まらない出る杭

「出る杭は打たれる」ということわざがある

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出る杭は打たれるとは、頭角を現す人は、
とかく人から憎まれたりねたまれたりすることのたとえ。
また、出すぎた振る舞いをすると非難されて制裁を受けることのたとえ。

そんな意味らしい。
「頭角」は「才能・技量などが、周囲の人よりも一段とすぐれる」
という事みたいだから、
それだけ聞くと、自由に出しておいたほうが良い気もしてくる。

何のために打つのか

「憎まれたりねたまれたり」というネガティブな意味で書かれていたが、
個人的には、チームワークという側面もあるんじゃないかと思う。

チームで何かを作る際に、1作業者に恐ろしいまでの能力があっても、
周りは本当についていけないのだ。
リアルで見たことがあるが、
「同じ日本語を話しているとは思えない」というレベルで、
職種の違いでわからないというのとは次元が違う。

単語一つ一つの意味は分かるのに、何が言いたいのかとにかくわからないのだ。
そして相手はきっと「なんで伝わらないんだろう」と思っていた事だろう。

どっちが良いとか悪いとかはないのだけど、
次元が違う人がチームに混ざると、あまり幸せにならず、
人数が多い次元が、正しいとみられがちだ。
(社長とか権力者の場合は、人数差をひっくり返せると思うけどね)

打たれたらどうなるのか

これは2タイプあると思う。

①打たれて埋まっていく
今まで言えていた意見が言えなくなったり、周りに合わそうとしたり、
周りに歩調を合わせていく。

これができる人は、多くのチームに適応しやすいだろう。
打ったほうも「自分の言う事を聞いてくれた」と、
きっとポジティブな思いをするだろう。

特に精神に問題がないのであれば、
(無理に合わせてるとかなければ)
自分の意見は持ちつつ、チームに合わせられるという、
とても大人な人といえる。


②打たれても埋まらない
その道しか進めないので、打たれようが何しようが変わらない。
「なんか違うなー」と思ったら、自分のフィールドに周りを変えたり、
自分のフィールドを探しに行ったりする旅人だ。

打ってくる人に興味がないため、
打たれている事に気づきもしないケースすらあると思う。

埋まりたいけど埋まれない

私の場合、①をちょっと頑張ろうとするのだけど、
耐えられなくなって②になってしまう。
(自分としては、出ているつもりはないんだけども……)

でも、社会に生きるなら、
周りに合わせるとか、そういうものには憧れる。

ゲームをするのは人だし、
人に向けてゲームを作っているんだから、
社会に馴染んでいきたいと、とても思う。
ただ、思いと結果は別だから、
そうならない事も多いというだけ……

なぜこんなお話をしたか

「1人で色々やりすぎる」という評価を受けることがあって、
それが良いことか悪いことかよくわからなかったから。

なんでわからなかったといえば、文脈的には
「もっと周りを頼ろう」「無理しないで」という、
行動の修正をしてほしそうな感じだったのだが、
それで評価に影響することもなく、理解の切り口が見えなかったからだ。

考えた結果、
「パワーはそのまま(か、ちょっと抑えて)、周りと歩調を合わせてほしい」
というお願いをされていたのかなぁと思ったのだが、
「そんな都合のいい調整は難しい」というご返答になりそうだ。