ひよっこ blog

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哲学的ゾンビと呼ばれ

哲学的ゾンビって知ってる?

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私は知らなかったので、調べてみた。

哲学的ゾンビ(philosophical zombie)とは、
心の哲学の思考実験の上で提示される、
人間と物理的/行動的には全く同様であるにもかかわらず、
 主観的な意識(クオリア)を一切持たない存在」である。

ちなみに、思考実験上の存在なので、
実際に存在するという主張ではないそうだ。

何とも、中二病な言葉なので、
どうして今まで知らなかったのかが謎なくらいだ。

もう少しかみ砕いて説明

主観的な意識を持たないとしても、感情を表に出さない訳ではない。
悲しい事、辛い事が起きれば、そのような反応をして脳内物質もしっかりと出す。

冷静な人間を模倣した哲学的ゾンビならば、
脳内物質を出したうえで、表面に出ないようにも振る舞う事だろう。

機械では判定できず、反応も人間と全く同じ。
それでも、主観的な意識は持たず「この行動をされると悲しむようにする」
と、演技でもなく、自然に、当たり前に行っている。

はたして「哲学的ゾンビ」は存在するのだろうか――

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」
シュレーディンガーの猫」みたいなもので、
哲学的ゾンビ」も、そこから思考実験をしていく感じかな。

結局いるのかな?

いるor今後生まれる可能性はあるのではないか。

「主観的な意識」を持ってない。だけであれば、
スタトレのボーグの様に、全メンバーの意識を常時共有しているような存在であれば、
それに該当しそうなものである。

まぁ、ボーグの場合は、内部が既に人間とは違うし、
反応も人間とは全く違うので、
「人間と物理的/行動的には全く同様」という部分でアウトだけど。

人間として生を受けたけど、
脳の疾患や、外的要因で、反応はその他人間と全く同じだけど、
機械では検査できない部分で、
全く違う理由で自動的に感情が出るようになっている人は居るかもしれない。

こうなってくると、本当にシュレーディンガーの猫みたいで、
観測できないのだから、いるもいないも言えないって事になってしまう。
(思考実験ではなく、実際どうかといわれれば「いない」だろうけどね)

私は哲学的ゾンビではない

言ったほうも、茶化して言っただけだろうから、
そんな事はわかっているだろう。

だけど、多くの人間とは、
感情のとらえ方が違うように見えるとか言われる。

多分、何かを伝えるときには、
ストレートに感情を出すようにしていることが多いけど、
それは、論理的に話すだけより、話がスムーズに通るからだ。
(通らない場合は、論理的に話しても、どちらにせよ通らない)

論理的に話して伝わったとしても、
相手がやりたくない方法だった場合は、
「そんな正論言われても」「他の方法はないの」
と言われるのが関の山で、結局時間がかかってしまう……

他にも色々いい方法はあるのかもしれないけど、
今のところ「感情を乗せる」が私にとって手っ取り早い方法なのだ。

でも、こうして「意図して感情を乗せる」
という方法を取る人はあまりいないから、そう言われるのだと思う。

そして、感情を乗せているその瞬間は、
「よし、感情を乗せるぞぉ!」と思っているわけではなく、
自然と出ている物なので、こういった所が、哲学的ゾンビを彷彿させたのだろう。

なにが言いたいかと言えば、
哲学的ゾンビって考えは面白いなって事で、
またそういう単語に出会いたいな。