ひよっこ blog

ゲーム制作について、作ったものや思ったことをつらつら書いていく予定

正しい間違いは議論しなくていいんだよ

方針はなんでもいいんだよ

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山の頂上に向かいたいという目的の時、
ルートは1種類じゃないと思う。

険しくても、最も早い時間で登れるルートでもよし、
時間は掛かっても、緩やかで楽しめるルートでもよし、
道なき道も突き進んでもよし、

結果、怪我をしてしまったり、
時間切れで頂上に行けなかったりというのはあっても、
どのルートを選んだって、間違いじゃない。

なんでこんな事いうかって?

MTG時間が長い!
・作業させてくれ!
・帰らせてくれ!

どのルートが正しいか、間違っているかの話になると、本当に答えが出ない。
「なにこれぇ」っていうMTGに付き合わされる。
だって全部間違ってないのに、正しい正しくないで議論するんだもの。
答えが出る訳ない。
(そういうMTGにしてしまって、後悔したことは多々あるけどね……)

間違えているんだったら議論は不要なはず

例えば「赤信号を渡る」は明らかに間違えている。
間違えているかいないかの議論はする必要がない。

赤信号でも、車が来ていないんだったら、
渡ったっていいじゃん。

これは、間違えていることではなく、
そのルールにグレーな解釈があったっていいでしょ?
という議論だから、別問題なのである。

ちなみに、私は車が来てなくても、赤信号ではほぼ止まる。
体力がないから、休めるチャンスで休みたいからだ。

実例

(フィクション混ざってます)
・勤怠管理を、私が行っていたら、
 作業が忙しそうだからと、別の人が作業をやると言いだした。
・しかし、私は自分で最適解の作業フローを作っていたため、
 誰かに回しても、結局私の作業時間は減らない。というか増える。
 (どう転んでも、少しは入らなければいけない内容だった)

○私の主張
「忙しそう」というなら、作業増やす提案をしないで。
○別の人の主張
「忙しそう」だから、やるって言ってるじゃん。助けるの上司命令だし。

どちらも、別に間違っていない。
私から言えば相手の主張は本当に間違っているとその瞬間は思ったので、
ふわっとキレてしまったのだが、ふと思った。
「上司命令」の上司は「どう思ってるの?」と。

なので、その上司らしき人に話して、
目的は「私の作業を他人に引き継ぐこと」「私の作業コストを落とすこと」
のどちらなのかを確認して見たら、後者だった。

じゃあ、今回は私の主張の方が、マッチするからそれでいいですよねって事で、
話は終わったのだが、ここで、別の人とやりあっていたら、
もっと長い時間を掛けて、結局平行線をたどり続けていただろう。

最後に

誰も間違ってないと思うけど、
目的に対して、より達成確度が高いルートは確かにあると思う。

そして、それを模索していくのが人生なんじゃないかなぁと哲学的な事を思うのだが、
そのノイズになるのが私にとって
「正しい、間違いそのものを議論」して時間を消費する事。

でも、ふと気を抜くと、
自分は正しくて、相手は間違っているんだって気持ちになっちゃうときがある。
そういう時は、ちょっと心が疲れてるときだから、
深呼吸して、美味しいもの食べたらいいよねっていう、そういうお話。