ひよっこ blog

ゲーム制作について、作ったものや思ったことをつらつら書いていく予定

哲学的ゾンビと呼ばれ

哲学的ゾンビって知ってる?

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私は知らなかったので、調べてみた。

哲学的ゾンビ(philosophical zombie)とは、
心の哲学の思考実験の上で提示される、
人間と物理的/行動的には全く同様であるにもかかわらず、
 主観的な意識(クオリア)を一切持たない存在」である。

ちなみに、思考実験上の存在なので、
実際に存在するという主張ではないそうだ。

何とも、中二病な言葉なので、
どうして今まで知らなかったのかが謎なくらいだ。

もう少しかみ砕いて説明

主観的な意識を持たないとしても、感情を表に出さない訳ではない。
悲しい事、辛い事が起きれば、そのような反応をして脳内物質もしっかりと出す。

冷静な人間を模倣した哲学的ゾンビならば、
脳内物質を出したうえで、表面に出ないようにも振る舞う事だろう。

機械では判定できず、反応も人間と全く同じ。
それでも、主観的な意識は持たず「この行動をされると悲しむようにする」
と、演技でもなく、自然に、当たり前に行っている。

はたして「哲学的ゾンビ」は存在するのだろうか――

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」
シュレーディンガーの猫」みたいなもので、
哲学的ゾンビ」も、そこから思考実験をしていく感じかな。

結局いるのかな?

いるor今後生まれる可能性はあるのではないか。

「主観的な意識」を持ってない。だけであれば、
スタトレのボーグの様に、全メンバーの意識を常時共有しているような存在であれば、
それに該当しそうなものである。

まぁ、ボーグの場合は、内部が既に人間とは違うし、
反応も人間とは全く違うので、
「人間と物理的/行動的には全く同様」という部分でアウトだけど。

人間として生を受けたけど、
脳の疾患や、外的要因で、反応はその他人間と全く同じだけど、
機械では検査できない部分で、
全く違う理由で自動的に感情が出るようになっている人は居るかもしれない。

こうなってくると、本当にシュレーディンガーの猫みたいで、
観測できないのだから、いるもいないも言えないって事になってしまう。
(思考実験ではなく、実際どうかといわれれば「いない」だろうけどね)

私は哲学的ゾンビではない

言ったほうも、茶化して言っただけだろうから、
そんな事はわかっているだろう。

だけど、多くの人間とは、
感情のとらえ方が違うように見えるとか言われる。

多分、何かを伝えるときには、
ストレートに感情を出すようにしていることが多いけど、
それは、論理的に話すだけより、話がスムーズに通るからだ。
(通らない場合は、論理的に話しても、どちらにせよ通らない)

論理的に話して伝わったとしても、
相手がやりたくない方法だった場合は、
「そんな正論言われても」「他の方法はないの」
と言われるのが関の山で、結局時間がかかってしまう……

他にも色々いい方法はあるのかもしれないけど、
今のところ「感情を乗せる」が私にとって手っ取り早い方法なのだ。

でも、こうして「意図して感情を乗せる」
という方法を取る人はあまりいないから、そう言われるのだと思う。

そして、感情を乗せているその瞬間は、
「よし、感情を乗せるぞぉ!」と思っているわけではなく、
自然と出ている物なので、こういった所が、哲学的ゾンビを彷彿させたのだろう。

なにが言いたいかと言えば、
哲学的ゾンビって考えは面白いなって事で、
またそういう単語に出会いたいな。

サイコパスと呼ばれたのです

サイコパスと言われた事ある?

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私は、言われたっ!
でもこれって、アニメとか、サイコパス診断とかで流行ったから、
特に深く考えず言っているんじゃないかなと思う。
(他の人も言われてたし)

じゃあ「サイコパス」って何なの?
という話になると思うけど、ちゃんとした定義がなさそう。

腕の骨が折れたかは、レントゲンで確実にわかるけど、
サイコパスはわからないんじゃないかなと思う。
(脳の疾患だった気がするので、スキャンしたら差異はあるかもだけど)
少なくとも、そのあたりの病院へ行って、
「あーサイコパスだったわー」という感じにはなってない。

なので、呼んだ側の意図はまちまちなのだと考える。

20のチェックをやってみよう

下記に20のチェック項目がのっていたので、やってみる。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1532900960783/


1.口達者で表面的な魅力がある
→△:自分ではわからない。

2.自己中心的でナルシスト
→○:自己中な自覚はある。

3.退屈しやすく刺激を欲している
→○:飽きっぽいので該当。

4.異常なまでに嘘を吐く癖がある
→×:嘘はあまりつかない。認識相違で、結果間違ってることはあっても。

5.抵抗なく人を操れる
→?:何をもって「操る」かがわからない。

6.良心や罪悪感といった感情に乏しい
→△:普通なんじゃないかな。普通がわからないけど……

7.感情が薄っぺらい
→?:わからない。喜怒哀楽ははっきりしているので×よりなのかな?

8.冷淡で共感性に欠けている
→△:冷淡ではないが、共感性はやや欠けている。

9.他人に依存した生活を送る
→○:そうですね。

10.自分の行動をコントロールできない
→△:コントロールしたくないときはしていない。

11.性に関してだらしない
→×:そんなことよりゲームを作りたい。

12.幼少期に問題行動を起こした
→?:何をもって問題行動かわからない。でも、△が近いかも。

13.現実的かつ長期的な目標を立てられない
→△:10年レベルでは考えてないかな。2,3年くらいなら考えてる。

14.深く考えず衝動的に行動してしまう
→△:物と立場と精神状況による。

15.無責任な行動が目立つ
→×:責任とはなにかと思うが、自責が強いとは言われたので×。

16.自分の行動に対しての責任を持てない
→×:責任とはなにかと思うが、自責が強いとは言われたので×。

17.結婚や離婚を繰り返す
→×:ない

18.少年時代に犯罪歴がある
→×:ない

19.仮処分取り消しなどを受けたことがある
→×:ない

20.さまざまな犯罪歴がある
→×:ない

■結果
×:8
△:6
○:3
?:3

△が多いのと、自分での判断は難しいので、信ぴょう性は高くないけど、
まぁこんな感じだった。

サイコパスってなんだろう

①性格が当てはまっているか
②犯罪に繋がっているか
で、犯罪者じゃないなら、サイコパスじゃないと思う。

ただ、職場で問題が起こりやすいのは、
自己中心的で、周りに被害を出して、
自分の利益の追求するような人だろうから、
なかなか、犯罪として表面化しないような気もする。

そして、更にややこしいのが、
別に犯罪じゃでもなく、周りに被害を出してなくても、
サイコパス」と面白おかしく話題に出すことが多くて、
本質的な問題が紛れていても、なかなか見つけにくい。

サイコパスっぽい人に、困ったことされたら、
避けるか、具体的な証拠を集めて「パワハラ」とか「名誉棄損」とか、
法的に戦える名称がついたものから責めるのが良さそう。

あ、そして私はたぶんサイコパスではないです。

おわり

作業割り振りは面倒である

作業はやる人に積み重なる

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作業は「できる人」ではなく「やる人」に重なってくる。
だいたいこぼれていくのは、
能力的には結構な人がやろうと思えばやれることで、
ただ、やりたいかと言えば微妙な作業だ。
一例としては下記。

①不具合発生のフロー整備
問題点出して、解決案出すだけだから、技術的な事はあまりいらない。
ただ、全体的に知識がないと、できないので、簡単でもない。
(さらに言うなら、あまり面白くはない。個人的には好きだけど)

CSSとHTML作業
ホームページ作成担当とかならいいんだけど、
ゲーム内で使用する場合は、担当が誰かわからなくなりやすい。
その割に連携は必要で、後からでも対応できると思われるので軽視されがち。

③アップデート手順
長くゲーム開発していると、ツールのバージョンが上がっちゃう。
そうなると、検証や手順資料やタイミング調整などが必要。
絶対必要だけど、やりたがる人は少ない。

誰もやらないなら「やる」or「できない」という

「できない」というと、理由を答え続ける地獄が待っているので、
「やる」としか言えない。

勿論、物によっては「できない」と言えるのだけど、
上記の例の通り、絶対必要だったり、
スキル的にはやろうと思えばできる物の為、
「できない」が伝わらないのだ。

他の作業を人に振ってと言われる

言う事はごもっともだ。
ただ、この時点で既に作業時間が長めなので、
「作業割り振り」というタスクが面倒なのだ。

上記の例の通り、進んでやりたい作業ではないので、
だいたいの場合お願いすることになり、
断られたり、とりあえずでやられて、資料が手直しになったりする。

勿論、作業をしっかりやってくれる人も居るが、
打率は、半分いかないかなって所で、二の足を踏んでしまう。
(しっかりやる人は、自分の作業が既にいっぱいの事が多いし)

更に言うと「○○さんに振ればいいよ、空いてるし」
といわれる場合は、振らない方が良い。
空いてるには、空いているなりの理由があるからだ。

作業依頼が細かくないとやってくれなかったり、
進捗を見て依頼内容を変えると文句を言われたり、疲れることが多い。
この場合、打率は3割いけばマシな方だ。

でも仕事時間長いと怒られる

過労死とかも問題視され、働き改革もできたので、
仕事時間が長い事は、とても問題視される。
それは個人の問題ではなく、
会社が怒られる(……というレベルじゃないけど)って事で大問題だ。

なので、作業が積み重なってしまったら、
「やらない」を強い心で選択しないといけないんだろうな。とは思う。

それができない理由は、
散々「やらない」「関与する余裕がない」と言っていた作業が、
ギリギリのギリギリで、どうしようもない状態でやってくるからで、
それがどうしようもなく怖いからだ。
(理不尽な嫌味を言われるか、呆れられるかくらいなので、
 耐えろと言われればそれまでだけどね)

自分はどうしたら良んだろう

理不尽な事を言われたり、呆れられたりしても、
自分の事をちゃんとわかってくれている人が居るから大丈夫。

そう思える余裕を持ったら良いんだろうな。

余裕がないのは、疲れだろうから、
作業割り振りが「面倒」と感じてしまう前に、
自分の作業量をコントロールする事と、
コントロールできないときは人に頼りたいな。

なかなか難しいけれども……

自分はどうされたいんだろう

「何か問題おきても、こっちで何とかするから安心して。
 ここまでで十分だから、大丈夫だよ」

そう言われたいんだろうな。

割り振れない作業がある事を理解して、
その上で、嘘だったとしても「大丈夫だよ」と言ってもらえれば、
無理して頑張らなくてすむような気がする。

さいごに

とはいえ、人がやりたがらない事をやるのは、
結構面白かったり、重宝されたりもするから、やって損はないと思う。
(スキル上昇の意味で、体調面では損になりやすいのでほどほどに)

最初は「仕方ない」「やりたくはない」かもしれないけど、
誰も手を上げない事をやってみても良いと思う。

二者択一はとてもミスする

二者択一って間違えない?

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田中さん、佐藤さん、が2人居たとすると、
頭ではわかっていても、田中さんを佐藤さんと呼んでしまう……
そういった経験はないだろうか。

私はとてもある。

①上下、左右
左右は普通に右と左なんだけど、
上下の場合は、9階10階を逆に言ってしまう。

②人の名前
3人以上いればいいのだけど、
2人同じくらいの仲の良さだととても間違える。
名前が似てても似てなくても間違える。

③物の名前や場所
人とほぼ同じなんだけど、物もやっぱり間違える。

③そのほか
「牛乳」と打とうとして「ぎょ……あれ?」とか、
「10個(じゅっこ)」と言おうとして「じゅっつ……ん?」とかもある。
ここまで来ると、二者択一でもなくなって来るのだけど、
脳内には2種類くらい浮かんでいるのがあって、
間違えないよう気を付けると、そこそこの頻度で間違えてしまう。

左右盲」が一時期話題になってよね

右と左が瞬時に判断付かなくて、言い間違えてうってやつ。
「自分もそうだー」という声もよく聞いた気がする。

色盲と違って、病名ではなくって、
「左右の判断が苦手な人」くらいの感覚みたいだ。

そして、その時に思ったのが、
「あれ、みんなは左右だけなのかな?」という事だ。

ここまで二択ミスするのは珍しい

もしかすると、結構いるのかもしれないが、
自分の身の回りには、居なさそうだった。

そういう話自体、多くの人とはしないけど、
話していて、こういう間違えが多い人はパッと浮かばない。

特に、上下のミスは結構業務上でも混乱を招くので、
(会議室の場所言い間違えたり、案内先を間違えたり)
他にも居れば、記憶に残りそうなものなのだけど……

自覚すれば気を付けやすい

時たまうっかりを発動するのかなぁと長年思ってたのだけど、
二択になるとすごく弱いとわかってから、気を付けやすくなった。

気にすると間違えちゃうんだけど、
間違えた後に、間違えたと気付きやすくなった。

あとは、そういった物は可能な限り言葉だけで伝えない様にしている。

元々、そんなに生活に支障はなかったんだけど、
(仕事の場合、「あぁ、疲れてるんだ……」と思われている気がする)
ちょっとのミスでは動じにくくなった。
「仕方ない、そういう性格だもの」という感じだ。

みんなミスくらいあるさ

上下、左右、名前……間違えたってそんなに大きな問題はない。
でも、過剰に気にしたり、
気を付けたりする人は居るだろうなと思う。

簡単なミスを繰り返してしまうと、
「この人仕事できないな」と思われたり、
「普通そんなミスしないよ?」とか言われたりしそうだもの。

そして、簡単なミスをしている人を見て、
「だから、他の事もできないはずだ」と思う人がそこそこいる。
仕方ない。その人には、その姿しか見えてないのだから、判断しようがない。
そういう人が、自分にとっての権力者にならない事を願うばかりだ。
あとは、自分がそうなってしまわない様に気を付けたいな。

さいごに

ミスをする傾向を知ると、気を付けやすくてよい。
私の場合は、二択にすごく弱い!

そして、自分では考えられないような理由で、ミスをする人は居る。
だから、表面に見えるミスだけで、物事を判断しない様に気を付けよう。


あと、二択にすごく弱い人が他にいたら、
二択弱いエピソードを発信してくれると、
市民権が得られそうで嬉しいな。

「ルール通りにしてください」いや、聞いてない……

ルール通りって難しい

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「ルール通りにしてくれ」と注意を受けたことがあるのだけど、
入ったばかりで、そのルール自体を知らなかったことがある。

その時は「あの、聞いてないです……」と言ったら、
説明するはずの人に、ちゃんと説明するよう言いにいった。

シンプルに言おう「高圧的に言うな」と。
最初から、知っていて破っているような物言いをされると、
単純に不愉快になってしまう。
(当時は、訳わからな過ぎて、不愉快にすらならなかったけど)

今までそういう人が多かったからなんだろうけど、
「今まで」と「私」を一緒にされても、
今までを知らない私には、どうする事もできない。

そして、ルール自体が、とても難しい

①「前回はそうでした」はルールじゃない

去年はこうだったと思うけど、今年はどうしましょうか。
こういう会話をさせてほしい。

去年はダメだったんで、今年もダメです。
そういう風に言われても、去年ダメだった理由が分からないと、
状況が変わっているであろう今年がダメなのか分からない。

そして、それはたまたま去年がそうだっただけで、
ルール(規則。規定。きまり)ではない。
その時決定権がある人が、その時の事情に合わせて判断しただけだろう。

でも、決めた人は、細かい理由を説明まではしないから、
末端になってくると「前回そうだった」で脳が固まってしまう。

②「資料に書いてる」は、不親切。

契約書なら分かる。
お互いの法務を通るのだから「契約書見てない」は通らない。

しかし、規定資料なんて、全部見きれない。
会社全体、部署ローカル、チームローカル。色々ある。
というか、どこにあるのかの周知がまずない。
「さがせぇ!」ってなる……

しかも、状況によってアレンジしていることだって多いんだから、
「資料に書いてるのでそうです」は、とても不親切。

書いてるのはわかったうえで、口頭で聞いた情報と差異があるから、
聞いていることがあるのに「資料に書いてます」だけだと、
その先、会話する勇気を持つことが難しくなってくる。

ルールは何のため?

「事故を防ぐため」そう思う。
信号という物がなく、無秩序に車も自転車も人間も動いていたら、
今よりずっと事故が増えているだろう。

年末調整に記入ルールがなければ、
処理する方も大変だろうし、記入する方も、いちいち調べて大変だと思う。

ルールは、基本的には、楽したりハッピーになる為の物なはずなのに、
それがあるせいで、大きな苦痛を感じていたら、ルールの意味がない。

守らないのは悪い子

ルールを作るのも、運用するのも非常に大変。
だから、安易に「こうすればいいじゃん」「守る必要ないじゃん」
とするのは、非常に良くない。

自分が納得する案を作って、運用を頑張るまでやるならいいけど、
口だけで、ただただ破るのはよろしくない。

そういう人が増えると、
ルールを守らせる側の人は言い方がきつくなってしまう。
そして、悪意なく結果として破ってしまった人は、
そんな言い方をされると、ルールを守る気が失せる。

ルールを破り続ければ、自分自身にいつか帰ってくるから、
注意しつつ、気にしすぎないのが良いだろう。
(本人に言った所で、わざとだったら変わらないしね)

さいごに

知りもしないルールに対して注意を受けたことは、
非常に傷付いた。未だ、なかなか癒えない。

遅刻もしない方だし、分かっているルールは、
可能な限り守ろうとしてきた自分の人生を、
ろくに話したこともない人に否定された(気持ちになった)からだ。

相手がそんな気持ちじゃない事はわかるのだけど、
傷付くものは傷付く。

いつか、癒える日がくるといいなぁと思う。

「あなたのため」は「誰のため?」

「あなたのため」とは言わないよ

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言わないように気を付けている言葉がある。
それが「あなたのため」「あなたの事を思って」だ。

気を抜くと言っちゃいそうだから気にしているのだけど、
理由は簡単「自分が言われたくない」から。

全員に対して言われたくないわけじゃない。
昔からの友人だったり、家族だったり、
本当の意味で心配してくれている人からなら、言われたって気にしない。

気にしてくれてありがとう。そう思う。

でも、本当に私の事をおもっている人ばかりなのだろうか――

言われて嫌なケース

「自分がそうしたい」「あなたのため」
置き換えてくるケースがとても嫌なのだ。

そういう場合は、友人でも家族でも、悲しくなっちゃう。
言われて嫌がっている、心に余裕がない自分含めて嫌になる。

もちろん「あなたのために」成分が
0じゃないというのもわかっている。

でも、結局のところは、自分のためだったり、仕方なくだったり、
それを柔らかそうな言葉で包んで、
自分が思う方向に、物事を持っていきたいのが一番の理由だろう。

実例で考えてみよう

体の不調で出社が安定しないけど、
仕事が好きだからどうしても来たい人がいた。

その結果、より体の不調が悪化してしまうことがあり、
体優先で、仕事は少しで良いとは言ったのだが、
そのコントロールが自身で難しく、体調は徐々に悪化していった。

そして、量は減らしていたとはいえ、
想定より進捗もよろしくなかったので、遅延も発生することになった。

この場合「あなたの体のために休んでほしい」「そのために別のチームにする」
というのは決して間違っていない。

でも、結局のところ、
トリガーとなっているのは体の状況ではなく、作業の遅延ではないだろうか。
本当に体のためを思うなら、
最初からチームにアサインしなくていいじゃないか。
……どうしてもそう考えてしまう。

そして、自分が言われる側になるとしたら
「あなたの体のため」よりも「作業がマッチしない」という理由でアサインを外されたい。
なぜなら、前者だとどうしても自分を責めてしまいそうだからだ。

体の調子が悪いときに、自分を責めるなんて、どんな苦行なのかと思う。
責めたところで、悪化することはあっても、良くなることはない。
(とはいえ「作業がマッチしない」も傷つきそうだけどね……)

脳が違和感で混乱するのかな

「あなたのため」という、耳障りがよく、優しい言葉に対して、
自分の感情が「ネガティブ」というチグハグな状態に、
脳が混乱して気持ち悪いのかもしれない。

私の場合は「その言い方嫌です」と言っちゃうのだけど、
多くの人は、相手にそんなことを言う余地もなく、
しっくりこないまま受け取っているんじゃないかなって思う。

少なくともここに、嫌がっている人が1人は居るので、
しっくりこなくても、安心してほしい。

さいごに

安易に「あなたのため」「あなたの事を思って」
と言ってくる人がいるのであれば、真面目に聞くのはやめていい。

「私はこのままでいいですが、あなたが不満な部分はどこですか?」
それを聞き続けるか、無視しておけば、話はいずれ終わる。

「わたしのため」は、私が考えればいいんだよ。

私が情緒不安定に思われやすい理由

情緒不安定とは

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○情緒の意味
1 事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。「情緒豊かな作品」「異国の情緒があふれる」「下町情緒」
2 「情動」に同じ。「情緒不安定」

○情動の意味
恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒。

○不安定の意味
安定しないこと。状態が一定していないこと。また、そのさま。

○情緒不安定の意味
恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情が安定しないって事かな。
さっきまで笑ってたと思ったら、急に怒ったり、泣いたりする。
そういった事なんだろうと解釈した。

私は不安定だとは思っていない

「自覚症状のない、ヤバイやつか」と思われるかもしれないが、不安定だとは思っていない。
ただ、面白い物を見つけちゃったら、会議中でも笑っちゃう等、
感情をこらえる能力は低いという自覚がある。

後は、自分的に納得できない事や、意味が分からない物は、
ストレートにその旨を言っちゃうので、感情的だとは思われやすいと思う。

「意味が分からない」については、理論立てての説明がしやすいが、
「納得できない」という場合は、理論での会話だけだと伝わりにくいため、
共感力を高めるために、あえて強めな感情を出していることがあるので、
その点でも、他の人より感情豊かに見えると思う。

じゃあ、なんで情緒不安定に思われる?

簡単な話だ。
感情が強く、頻度が高いと、その時点で他の人と比べれば不安定だからだ。
私にとってはそれが普通でも、他の人にとっては普通じゃないのだ。

とはいえ、それだけだとつまらないので、
もう一つ、考えてみた。

その人ではなく、その人の行動で感情が変わる

「苦手な人いる?」と聞かれたことがある。
これは、学生時代だったり、社会人だったりだ。
この質問の意図って、同じ学校や会社の人の、
誰が苦手かを聞いてるのだと思うけど、
「人間」に対して「苦手」という概念はない。

そりゃ、近寄っただけで殴ってくる人とか、
無意味に怒鳴ってくる人は苦手(というかこわい)けど、
それは行動が嫌なのであって、その人個人に紐づく物ではない。

「そんなの当たり前じゃん!」って思うかもしれないが、
認知バイアスの「ハロー効果」の影響を受けている人は非常に多く見える。

簡単にいうと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
良い面でも悪い面でも、一つの特徴に引きずられて、
関係ない所も評価しちゃうって感じ。

「遅刻が多いから仕事ができない」みたいに、
遅刻が多い事は事実だけど、仕事は別途評価すべきなのに、
遅刻に引きずられて、
仕事の評価を正当に行えなくなる(バイアスがかかる)という事だ。

具体的に言われた事①

※フィクション入り
「君は、私が嫌いだと思っていた」
確か、プロデューサー的な人に言われた気がする。
確かに仕事の進め方の方針としては、意見の対立があった。

相手の言い分が、こちらはわからず、
私の言い分も、あちらはわからず。

その結果、対立したものとは別の件で、
自分的には普通に進めていたものに対して、
「わざと共有しなかったんだ」と思いこまれた物があったのだ。

トラブル対応だったので、急ぎ落ち着かせる以外の事は眼中になく、
「協力して、早く片づけましょう!」の気持ちだったので、
それを聞いたときは、なんというか、
悲しみと怒りと疲れが混ざったような、不思議な感情だった。

相手にとって、私が抱いている感情は
「嫌い」で一貫されている(安定している)と思っていたのだろうね。

具体的に言われた事②

※フィクション入り
「もう、何を考えているのかわからない」
今度は逆に、仲が良かったプロデューサー的な人に言われたことだ。

さっきまで普通に話していたのに、私が突如キレたからだ。
突如というよりは「今、その話は嬉しくないんでやめましょう」と、
2,3回伝えたのだが、それでも、話を強硬に進めたからだ。

しかも、業務に関係ある話であればともかく、
あえて言う必要もない上に、私の逆鱗に触れるような話だったため、
これ以上続けられるのは、耐えられなかったという事だ。

相手としては、柔らかく止められたとはいえ、
そこまでの話とは思ってなかったはずなので、さぞビックリしただろう。

相手にとって、私が抱いている感情は
「友好」で一貫されている(安定している)と思っていたのだろう。

自分のしたい話を、何も気にせずただ最後までしようとしただけなのだ。
無意識的に、多少嫌な話をしても、少し眉を顰めるくらいで終わるはずだと思って。

情緒不安定なんだよ

自分がどう思っても、周りがそう思ってるだから、
情緒は不安定なんだと思う。

「自分の感情に素直」という意味では一貫しているので、
長い友達からは、ある種安定していると言われるのだけど、
それは、ごく少数なので。

○情緒不安定に思われるためには
1:感情を表に出す(大前提)
2:感情の切り替えを早くする
3:感情の振れ幅を大きくする
4:1~3を1人の人間に対して行う

不安定に思われたい人は居ないだろうけど、
逆に言えば、これをしなければ、
情緒が安定している様には、見えるのかもしれない。

おまけ

感情が表に出ない(出せない)人が、一定数いると思いますが、
出ないだけで、感情の振れ幅は大きかったりするため、
見た目上大丈夫そうに感じても、気を付けた方が良いです。

周りが気にしないと、そういう人は体に症状が出ちゃうので……
本当に、表情に出ない人ほど、ため込んでしまうので、危ないと思います。