ひよっこ blog

ゲーム制作について、作ったものや思ったことをつらつら書いていく予定

jsdo.itが終了していた……

jsdo.itがサービス終了

悲しい!
jsdo.itが2019年10月31日にサービス終了していた。
これを書いているのは、2019年11月19日なので、ほんの少し気が付くのが遅かった。

ファイルの保存方法はあったが、終了後なので救済はできない……
しかし、気が付かなかった私が悪い……
(果たして、復活はできるのだろうか)
iwb.jp

jsdo.itの思い出

とある年に参加したGGJで初めて使って、
Web上で、コードを編集するとすぐに反映されて楽しかった。

人のコードも、開示されている物は自由に見られて、
Forkすることで、自分のアカウントにコピーして改変する事もできた。
これは、HTMLやJavascriptを勉強したてだった私にはとてもすごいことだった。

今は遊べないですが、↓の記事のものです。
hiyokk0.hateblo.jp
悲しいので、残っていた画像も……
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サービスは、いずれ終わる

何なら、運営として終了するサービスに携わった事だってある。
だから分かってはいるはずなのだけど、
自分が作ったものが、もうこの世であそぶ方法がないんだなって思うと、
とても、悲しい。

そして「こんな良いサービスを提供してくれてありがとう!」
という気持ちでいっぱいだ。

CodePenも似たようなサービス

下記は「game」で検索したURLなのだが、game以外の美しいデザインも必見。
こちらも、ソースコード編集しながらできる系のサービスだ。
https://codepen.io/search/pens?q=game&cursor=ZD0xJm89MCZwPTM=

使い方は、下記等で調べてみてください。
namagomi-days.com

美しい表現が非常に多いので、ゲーム制作にも生かせると思う!
サービス終了は悲しかったけど、バネにして頑張ろう!!

「トラウマは存在しない」……あるわっ!

「嫌われる勇気」という本がある

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嫌われる勇気とは、アドラー心理学を、
対話形式の物語で教えてくれる本だ。

語弊が多分あるけど、気になったら本読んでねって感じ。
私は、続編の「幸せになる勇気」も読んだ。

「嫌われる勇気」の方では、
「トラウマは存在しない」と言っている部分がある。
だいたいの部分は「そういう考えもあるかぁ」と思っていたが、
さすがにトラウマはあると思う。

トラウマの意味を考える

「大きな精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷。精神的外傷。」
な、なるほど。

「外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、
 長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。」
あ、ちょっとわかってきた。
何らかの衝撃で、長い間、行動や思考に悪い影響が出てしまうという事ね。

意味を考えれば、やっぱりあるなぁとしか言えない。

ちなみに「嫌われる勇気」の場合は、
「それは自分がやらない言い訳を自分で作っている」といった感じで、
トラウマの存在を指定している。

例えば、カッターで指を切ったから、
長期間カッターを使えない状態に陥る。という現状の場合は、
「使えない状態」である事を自分が望んでいる。
(「お母さんから優しくされるとか」「代わりにやってもらえるとか」)
自分が望んでいるから、できないんだという感じだ。

カッター使えない時点でトラウマだよ!

カッターの例は、私が実際小学校の時に発生したものだ。
ガラスの仮面のドラマ版を見ていたら、
姫川亜弓さまに集中してしまって、結構やってしまった。

その後、小学校卒業くらいまでは、本当に怖かった。
親からも、1年くらいは使用禁止と言われた。(図工は除く)
今はもう大丈夫だけど。

カレー食べて救急車運ばれたこともあるけど、
hiyokk0.hateblo.jp
その時も、カレーの匂いだけでわき腹が痛む時期があった。
ハヤシライスでも、違和感があったのだから、
フラッシュバック(痛覚あり)しているといっても過言ではない!

これが、トラウマではなくて、なんというんだ。
カレー食べれないのは、別に自分が望んだ世界ではないよ!!
元々食べれてたカレーを、食べたくない言い訳ってなんだよ!
(服が汚れたくない人なのかな……?)

という訳で、本が何と言おうが、
私の中でトラウマはあるのである。

トラウマ克服方法

すごい重たい場合は、これでは改善できないのだけど、
少しトラウマ程度なら、なんとかなる方法。

・トラウマと同じ行動を取る

これだけだ。

例えば、カレーの例で言うと、
ハヤシライスなどから、ゆっくりと食べていくようにした。
「食べても、救急車に運ばれない自分」という、体験を繰り返して、
大丈夫だという自信をつけたのだ。

もう一つの例では、
一時期深夜に帰ることが増えて、
帰り道に絡まれる事が続き、夜帰るのが怖くなってしまった。

その時には下記2点頑張って、短期間で帰られるようになった。
①人と帰って自信をつける
②違うルートでかえって自信をつける

重たくない物ならば、
悩む前に解決に動けそうならば、早めに動いた方が良い。
「帰りたいけどこわいなぁ」と悩む時間は、悶々とするので……

トラウマはあるけど克服に向けて歩める

やっぱり、トラウマはあると思ってるけど、
「克服できるかは自分の行動次第!」でもあると思う。

小さなことから、どうにもならない大きな事まで、
世の中にはいっぱいあると思うけど、
思い悩みすぎず、とはいえ、時に思い悩んで生きていきたいね。

イベントでのお金の使い方

今日はイベントがあった

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今日は、デジゲー博 2019があって、色々購入した。
時間の関係や、人が道に多く居ると逃げちゃうんだけど、
基本的には、事前に目星を付けてたところと、
その場で気になったところは、何かを買おうと思っている。

缶バッジとか、キーホルダーとか、
最近だとアクリルスタンドも多くて、可愛いね。

ゲーム以外でもなぜ買うのか

私の場合は「記憶」に残すため。というのが大きい。
更に言えば「記憶に残したい=ゲーム作りを続けてほしい」
という事で、少しでも応援を形にしたいからだ。

形って何なの?というと「金」だ。
お金は全てではないが、
お金を払って買ってくれた時の感覚は、とてもうれしい。

試遊メインのイベントだと、試遊の後に何かを買ってくれると、
「あ、このゲーム面白いの自分だけじゃないっ!」と、
とても嬉しくなる。

私が買わなくてもきっと困らない

確かに、そうなのかもしれない。
だけども、そうじゃないかもしれない。

棚の中には、もう5年分くらいの
イベントの品が詰まっているが、
1回出会って体験版を買った後音沙汰がなかったり、
そういうところもある。

ゲームを作るのはしんどいので、
「無理に完成させろ」とは全く思わない。
言いたいのは、一期一会の出会いになるから、
その出会いは大切にしようという事だ。

つまり、相手は困らないだろうけど、
私は後悔するかもしれないから、気になったら買っておく。
それだけだ。

イベントでの傾向

大ざっぱにいうと、下記4分類かなと思う。
私は①で、使うか、遊ぶかは買ってから考える物もある。
(店番もあるので、時間があまりかけられないし……)

①気になったものは買う。
②試遊して自分にマッチしたら買う。
③限られた予算の中で吟味して買う。
④基本買わない。試遊メイン。
 ※期待値を圧倒的に超えた場合は買う。

この①~④は、個人の持っているお金に左右はされない。
貯金ほぼ0でも①な人はいるし、
お金に余裕があっても④な人はいる。

というか、お金に余裕がある人の方が④という、
勝手なイメージがある。
(使わないから、貯まるんじゃないかなぁと)

個人的に思う事

私の場合、イベントでお金を使うと、
幸福度が上がるから使っている。
なので、そういう人が増えてくれると嬉しい。

その一方で④のような人も居るから、
そういう人には「お金を使おう」的な事は言わない。
使いたくなるように、好みだろうサークルに連れていって、
悩みに悩んだ末、買っている姿をほくそ笑むだけさ。

全体的な話をすると、
インディーゲーム界隈は活性化してほしいから、
お金が消費されて、
多くの作品が生まれる世界になると嬉しいな。

さいごに

私は、イベントでお金を使って楽しい!

そして、それは瞬間的な話じゃなくて、
2年後、3年後に、動いてないと思っていたゲームに進捗があったり、
ゲームやグッズを閉まっている場所を開くと、幸せになる。

幸せになれるものがあるって、幸せだね。
そういうお話でした。

「さ、寒い……そうだ火をつけよう!」そして、怒られた。

冬が来ると思いだす

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私は、寒がりだ。
そして、私は学生時代、外で作業していた。

段ボールで場所を囲って、
風で作品(美術系だったので)が飛ばされない様にとかはしていたが、
寒い物は寒い。
手がかじかんで、思うように進まない事もあった。

そうだ、火だ!

私の手元には、ガスバーナーがあった。
金属を熱して曲げるためだ。

これを使っているときは、少しだけ温かい。
しかし、バーナーは力強い火を、少ない時間吹くだけで、
いい感じの温かさを継続はしてくれない。

なんとそこに、金属のバケツが……!
「これは、枝を集めて燃やすしかない」
そう思うのは仕方がない事だっただろう。

一応言っておくと、金属のバケツは廃棄だったので、
使っても、備品の破損にならない。
そして、そこはコンクリートで固められた場所。
更に言うなら、ガスバーナーを使って良い場所なので、
燃え移って危険になることもない。

あとは、落ちている枝や葉っぱをバケツに詰めて、
ガスバーナーで燃やせば、ある程度の暖は取れると思っていた――

難しかった……

木の枝はしっかりと乾燥していたわけではなく、
燃やすと、異臭をはなった。
そして、燃える葉っぱは、速攻燃えて火は消えた。

なるほど。
乾燥した何かを入手しなければ……

そう思っていたのだが、異臭に引き寄せられた先生に、
見事怒られてしまった訳だ。

「なにをどうしたら、その行動をしようと思うの!?」
とでも言いたげな、怒りつつも、訳わかんなそうな感じだったので、
大人しく、やめた。

寒くて仕方なかったことを言ったら、
延長ケーブルを、外まで引いて良くなって、
電球をつけることで、少し暖かさを手に入れることができた。

火より、電気の方が良かったか……
めでたし、めでたし。

危なく「思われる」事をしてはいけない

今回の場合、その場所で火を使っていけない訳ではなかった。
ただ「急にバケツ燃やすヤベーやつ」が、危なく思われたんだろう。

周りから見れば、何が入っているか分からないし、
異臭は発生しているのだもの、仕方がない。

ただ、問題は、やっているときには、
「危なく思われる事」だとは全くもって思ってなかったことだ。
「素晴らしいアイデアだ!」と思ったくらいだ。

怒られる方は、止められたらすぐにやめて、
怒る方は、止めたらそれ以上グチグチ言わない。
そういう世界であるといいなと思った。

はじめから色々考えてたら、
何にもチャレンジなんてできないからね。

「自分ができることを周りもできると思わないで」と言われたが思ってない

心は読めないだろう?

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「自分ができることを周りもできると思わないで」
仕事では特に絡んでいない、
別プロジェクトのプロデューサ(?)に言われた言葉だ。

あちらは私の事を知っている様だったが、
私は「名前は見たことあるかも」くらいの印象。

長い期間同じプロジェクトにいても、
その人がどう考えているか、読み間違える事はたくさんあるのに、
どうして人の思いを断定できるんだろう……と不思議だった。

ポジティブかネガティブかで言うと、ネガティブな感情で、
「貴様が私の何を知っているというんだぁ!」という感じだ。

でも、そう見えたんだろうね

「自分ができることを周りもできると思っている人」と、
相手が私を思ったことは理解した。

そして、その理由は、ある程度想像できる。
私の仕事における基本思想が「自分はいてもいなくてもOK」という感じで、
自分だけが持っている作業を、極力持たない様にしていたからだ。
(とはいえ、あくまで思想なので、持っちゃうこともあったけど……
 言われたときは、そんな感じの動きだったはず)

できるかどうかは、任せてみないとわからない訳で、
本人が嫌がらない(怖がっているくらい)なら、様子を見ながら振っていた。

もちろん、1回目からできることは多くはない。
そして、スピードに対しても、遅い場合は遅いと言っている。

だから、そう見えることはあるんだろうなぁとは思う。

言いに来なくていいよ

そう見えたのだとして、心に思うのは自由。
それを、言いにくる必要はないんじゃないかなと思う。

上流工程である事と、立場が上である事を、
はき違えているんじゃないかと、思ってしまう。

私はあなたの部下ではないし、所属も違う。
ただただ別のプロジェクトの、多分プロデューサだっけ?くらいの人だ。

それを私に言って、どういう道を進みたかったのかが謎い。

距離が近い人でもやってしまいがち

私もやっちゃうときがあるので気を付けないと何だけど、
事実と、事実から見える推察と、ただの感想は明確に分けないとなぁと思う。

とはいえ、距離が近ければ、
「○○と思っていると思うけど」みたいに言われたときに、
「いや、別に思ってないです」
「○○だと思ってて質問したんですけどどうです?」と前にも進めるので、
よく分からない人から言われるよりは、かなりマシ。

お節介はうざったい

そういえば、大学の先生に
「そんな風に生きてると、社会人としてやっていけないよ」
と言われたこともあった。

今のところ、やっていけているので、
ただネガティブな感情を受けただけだ。
私は、こういうのが「お節介」だと思う。

「自分ができることを周りもできると思わないで」も、
「相手に合わせて作業を振った方が効率が良いんだよ」とか、
そういうアドバイスをしたかったのかもしれない。

しかし、あなたからアドバイスを受ける必要を、特に感じない。
私と共に仕事をしていない人に、
アドバイスができるとは思えないからだ。

自分もどんどん年を取っていって、
自分が今嫌だと感じていることを、する人間になっていくんじゃないか。
それが、一番、こわい。

電車、落ちたことある?

電車が、苦手だ……

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私は、電車が苦手。
改札から入り、ホームを抜け、
電車に乗るという一連の動作含めて、とても苦手だ。

①酔う:物心ついたときから
②落ちる:高校
③倒れる:大学
④転ぶ:社会人
⑤当たる:社会人

この5種を経験したのが大きい。
「わかるわかるー」という物と、そうでもない物があると思うので、
簡単にそれぞれ解説していく。

①酔う

車酔いも酷い人間で、バスでの遠足でも、
位置を気にされるレベル。
電車でもその力を発揮し、幼いころは結構辛かった。
今は、マシになったとはいえ、新幹線でも軽く酔う。

これは、結構多くの人が体験しているかな。

②落ちる

電車とホームには必ず隙間がある。
そして、隙間が広めの駅が、必ずある!

とても気を付けていたのだけど、落ちてしまった……
最後まで落ちず、腕を何とかホームに残せたので、
肩より下は宙ぶらりん状態だ。

これは、恐ろしく怖くて、結構痛かった。
優しい人が、すごい力で持ち上げてくれて、
優しい人が、非常停止ボタンを押してくれた。
(申し訳ない……)

本当に「あ、死ぬ」と思って、
走馬灯は駆け巡らなかったけど、全ての足掻きをやめた。

落ちるまで行った人は少ないんじゃないかな。

③倒れる

大学辺りで、脳貧血が起こりやすい時期があり、
急に目の前が暗くなって、
立ってられない事がちょこちょこ発生した。

最初は原因も分からず、どうしていいかもわからなかったのだが、
ホームの先頭に立っていた時に発生し、
たまたま電車が来たので、電車内に倒れこんだのだが、
非常に血の気が引いた。

食生活の見直しで、発生頻度を抑え、
更に、発生の予兆が分かるようになって、
ホームに降りて休むことを覚えたので、
現状では、倒れる事はほぼなくなった。

これは、意外となっている人多いんじゃないかな。
周りでも、1,2人はいた気がする。

④転ぶ

階段が多い!しかも、段数と段差がまちまち!
正月明け一発目の出社で転んだ時に、私の心は折れた。

周りの人は凄いね。
突如転んでいるのに、すごくうまく避けてくれた。

取りあえず、手すりを極力持つようにした。
手すりがない時は、すごく気を付けて歩く。

(ちなみにこれは、電車だけではないので、
 完全に自分がうまく道を歩けてないだけです……)

⑤当たる

駅には当然人が多いので、不可抗力で当たるのは、
昔からもちろんいっぱいあった。

だけど、社会人になってからは、
利用していた駅の構造上なのか、
明らかに、当たりに来ている(道を開けようとしてくる)
人が居るように感じて、怖くなった。

自意識過剰なのかもしれないし、
結構ふらふら歩いてしまっている自覚はあるので、
邪魔だからそうするしかないのかもしれないが、
こわいものはこわい!

それでも私は、電車に乗る!

さすがに、使わないとどうしようもない。
だって、電車は便利だもの!

苦手だなぁとはやっぱり思っているから、
必要最低限しか使ってはいないけど、
電車を使って、遠くに行くからできる経験もいっぱいあるから、
これからも、しっかり、落ちないように乗っていきたいと思う!

私がゲーム業界を選ぶまで

働くという事

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大学を卒業してから、今現在、
ゲーム業界でしか働いたことがない。

そして、他の業界は目指したことがないので、
選ぶというか1択だったわけなのだが、
どうしてこの道になったのか、ふりかえってみる。

最初に触ったゲーム

コンパイルの、ディスクステーションのゲーム。
PC98だったことは覚えているけど、
さすがにどの号の何だったかは覚えていない……

「あっぷるそーす」と呼ばれる、
画面のクリックして、場所によって反応があるという、
ゲームがとても楽しかった。

ひらがながそこそこ読めるかなー
くらいだったので、RPGはだいたい積んでいたので……

とはいえ、自分の行動によって、
画面上のなにかが反応するという体験は面白くて、
中々家に居ないお父さんと、
ゲームを通してそういう体験を共有できることは嬉しかった。

最初に触ったコンシューマゲーム

セガ・マークIII
麻雀ゲームと、阿修羅をやっていた。
まだ小学校にもなってなかったのかな。

コントローラーの方向キーに刺さっていた、
ゲーセンのアレを小さくしたような棒が、
親指に食い込んですごく痛かった。

阿修羅は、最後まで行けるような事はなく、
だいたい3面くらいでいつもゲームオーバー。
麻雀は、ルールが分からない。

それでも、すごく楽しかった。

小学校の夏休みはゲーム三昧

友達の家で、朝から夕方までやっていた。
家でもやっていたので、今では考えられない程ゲーム三昧だった。

小学校低学年までは、かなりニッチなゲームを遊んでいたので、
小学三年生以降で、よく知られるものをやっていた感じだ。

この時期がなかったら、本当に偏りまくったゲームしかやらず、
今、会社の人とゲームの話で盛り上がれる世界はなかっただろう……!

家ではPCで「うるうる」「Angelic Vale」とかしていたけど、
友達の家では「クロックタワー」「ファイナルファイト」とかしてた!

色々なゲームで遊んでいたから、
なにがすごく思い出深いというのも難しい。
楽しいもの、楽しくないもの(好み、好みじゃないって事ね)もあって、
その過程も含めて、楽しかったなぁという思い出だ。

高校はとりあえず美術系へ

あんまり深い意味はないけど、
ゲームとか、漫画とか、そういう話ができる所に行きたかったのかな。

あとは、美術はどうもうまくならなかったので、
専門的な学校へ行けば、手法が学べるのかなと思った。

ピアノは幼少時やっていたので、
「次は絵だろ!」と考えていたのかもしれないが、
何も考えてないのかもしれない……

ちなみに、そんなに頭は悪くなかった。
(あ、あくまで中学までの話ですよ)
英語は絶望的だけど、数学は良かったので、
平均値で考えれば、ちょっと頑張れば、
学区内2,3番目の高校は目指せるくらい。

ただ、その「ちょっと頑張る」を、
やる気持ちも、意味も見いだせなかったのだ……

最初にゲームを作った

大学入ってすぐ、色々調べながら、
1年くらいかけてミニゲーム作った。

音楽も、絵も、プログラミングも、
今思うと全然綺麗じゃないんだけど、全部一人で作った。
(わかんない所は、教えてもらったりしたけどね)

楽しかったかといえば、
リアル血を吐く程の苦労ではあった。
だけど、だからこそ、形になった時はとても嬉しかった。

美術系なので、絵とか物とか、
苦労して作品を完成させる経験はしてきたのだけど、
(ピアノでも、発表会前日まで完璧に引けなかった曲あったし……)
形になった後に、更に遊べるというのは、とても素敵だった。

そして社会人へ

大学が終わったら、働かないといけない事はわかっていた。
ただ、なりたい物もないし、やりたいことがあるわけでもなく、

やる気もないのにできないので、
大学で専攻していた道にも進む気持ちになれなかった。
平面じゃなく、立体の経験をしてみたかっただけなので……

大学の専攻自体は、物を作る為の考え方とか、プレゼントとか、
今でも役に立ってるものがちょこちょこあるので、良かったと思う。

そうなると、就職活動やる気になれる業種しかないわけで、
それが、ゲーム業界だったという感じだ。

企画職で進めたのは、
絵を描きたいわけでも、プログラムを作りたいわけでもないので、
それを突き進んでいる人には実力は到底及ばないけど、
広く浅い知識が、一番役立ちそうなのはどこかな?と考えた結果だ。

結果、簡単な3Dモデル作ったり、簡単なJavaScript書いたりしたので、
そんなに外れた選択でもなかったかな。

さいごに

自分の場合は、ゲーム業界で得たお金で、
ゲームとか漫画とか買うという、
可能な限りゲームにまみれた世界で生きていたい。

それ以外に幸せな道はあるのかもしれないけど、
模索する気も起きない程に、そうしたい。

なので「趣味でゲーム作るなら、ゲーム業界に居ない方が時間取れるよ」
とか言われても、(言われたことは無いのですけども)
ゲームと関係ない仕事をしている平日1日8時間が、既に生きていられないので、
その選択肢は選択できないのだ。

全然格好良くないけど、私はそういうもんなんです。